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◆/「言霊」は無限の力への入り口だ!/
ここまで読んで頂いたみなさまは、自分も言霊によって願いを
叶えられるのだと信じられるようになってきただろうか。
最後にひとつ、面白いはなしを聞かせよう。
ある貧乏な男が、何を思ったか、金持ちになった親友の家を
十年ぶりに訪ねた。着ているものもボロで、頭はフケだらけ。
いかにも、浮浪者然としていたが、
「おお、久しぶりじゃないか。よく来た、よく来た」
と、金持ちの親友は、わざわざ遠くからの彼の来訪を喜び、
心から歓待した。
そして、素晴らしい酒と、いままでに味わったことのない
美味しい料理に舌鼓を打った貧乏な男は、いい気持ちになって、
そのまま寝込んでしまった。
ところが、その金持ちの親友はその夜、出張があることを
すっかり忘れていた。
「あっ、いけない。もう約束の時間だ」
彼は、仕事の約束に気付き、出かけようとした。
だが、泥酔して眠り込んでいる貧乏な彼を、そのまま残して
おくのがしのびなかった。
そこで、彼は、自分の家にあった一番高価な宝石を、
彼の衣服に縫い込んでおいてあげた。それは貧しい彼なら、
残りの人生を楽に暮らしていけるような高価な宝石だった。
貧乏な彼は、翌朝、目覚めたが、親友がいないのを見て、
「ああ、あいつはまた仕事に行ったのか」と思い、黙って
彼の家を出て、再び放浪の旅に出た。
それから数年たったある日、ふたりはまた町でばったりと会った。
そのとき、相変わらず貧しい身なりをしている彼を見て、
親友はいぶかしがりながら、彼にこういった。
「いったいどうしたんだよ。僕が君がこれから先、自分で
やりたい仕事が十分にできるように、宝石を君の服の襟に
縫い込んでおいたんだよ。もう使ってしまったのかい?」
彼はあわてて、着たきりの汚らしい上着の襟の中を捜すと、
宝石が出て来た。
「これかい?」
「あっ、まだあるじゃないか」
「ああ、気がつかなかったよ」
これは「法華経」にある話をアレンジして書いたものである。
ここでいう親友というのは、「宇宙の心」のパワーのことである。
一方、貧しい男というのが、私達人間である。
そして、親友つまり宇宙の心のパワーが衣服に縫い込んだ宝石と
いうのが、実は「言霊」なのだ。
私達人間は、自分のすぐ身近なところに言霊という宝石があるにも
かかわらず、そのに気がつかずに、いつまでも貧しい気持ちで一生を
旅している。
だから、この話はあなたのそばにある宝物の存在をいち早く知って、
豊かな人生を送ってくれというメッセージなのだ。
ところが、この物語に象徴されているように、あなたは言霊の存在すら
知らず、様々な人生苦の中でさ迷っています。自分が無能だと思いこみ、
絶望したり、自分には何も出来ないと嘆いている。
これは明らかに間違いである。
あたなには無限の可能性がある。早くそのことに気がついて豊かな
人生を送ろうというのが、この物語の本当にいいたいことなのである。