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『全開学校』は、愛と才能を全開しあなたが喜びで幸せに生きるための学びを提供する学校です。

古事記と言霊講座121-140日目

古事記と言霊講座121-140日目

◆/121日目:第四 言霊エの段階(1)/

今日は、第三 言霊アの段階を学びたいと思います。

/第四 言霊エの段階(1)/

第四 言霊エの段階

庇(ひさし)を借りて母屋を乗っ取った後天的な知識・信念・習性等を心の中で否定、 整理して、母屋である本来の自己自身を再びとりもどした人は、魂の自由を得て溌剌と生きることができます。自己本性が宇宙そのものであることを知り、自分のそれまでに身につけた知識・信条・習性等をその場、その場に応じて自由に駆使することができるからです。

この次元の境地にいる人を払教では縁覚あるいは阿羅漢といい、キリスト教ではアノインテッドAnointedと呼びます。芸術の表現し得る境地としてはこの次元が最高次元です。

ですからこの境地を究めてしまったピカツはその後は時には遊んでもいられたのです。けれども人間全体の魂の進化という立場からは、この次元に留まって遊んでいるわけにはいきません。進化の第四段階目が次に控えています。

それが言霊エの次元です。

自己の本性が宇宙そのものであることを知った人は自分の知識・信条・習性等をその時その場に応じて使い分け不自由はありません。その意味では「わが事足れり」です。しかし眼を他の社会に転じてみましょう。そこにはそれぞれの罪業に翻弄されて苦悩の底に沈んでいる人々が多勢いるのです。

自分が生かされていることの有難さをつくづく知った人が、他人の苦しんでいるのを見て、いま自分が味わうことのできる自由をその人達にも手にしてもらいたいと思うのは人情でありましょう。否、自分の使命だと言えます。そう思い立った時からこの人の進化の第四段階の勉強が始まります。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/122日目:第四 言霊エの段階(2)/

今日は、第四 言霊エの段階を学びたいと思います。

/第四 言霊エの段階(2)/

第四 言霊エの段階

この世の現象界の出来事に悩んでいる人は、かつては自分もそうであった如く悩みながらその社会的欲望の執着を捨て切ってはいません。

相手を正当な手段で打ち負かすのがなぜ悪い?信念を貫ぬこうとしてなぜ不都合なのだと主張しながら、泥沼の中でもがいている人に“どのような手段で”地獄から抜け出させることができるのか、の勉強が始まるわけです。

進化の第三段階である言語アを求める勉強が自利のためであったのに比べて第四の勉強は利他の道です。

“どのような手段で”の勉強の道、仏教でいう方便と真理への道、それは選択を勉強する段階であり、言語エは“選”ぶの言葉の基本の道ということができます。

この段階にある人を仏教では菩薩、キリスト教では使徒と呼びます。社会一般でいえば真の意味での政治・道徳の道であります。

世の中にはいろいろな経歴・習性・知識・信条等を持った人がいます。それらの人達にどのようにそれぞれ対応したらよいのかの勉強は無限ともいえる努力が必要です。そしてその努力を支えるものは人類の理想社会の建設という使命観でありましょう。

ところでこの次元における言霊の勉強はどうなるでしょうか。言霊エの意義を端的に表わず言葉は“選らぶ”です。

何を選らぶのかといえば、言霊ウ・オ・アの中からその時々の場に必要な次元を選ぶことです。いまこの人を導く最適の方法は言霊ウオアの中の何であるかを選ぶことです。

この選択の勉強によって言霊ウオアのそれぞれの次元的相違が次第にはっきり了解されてくるようになります。

この次元がはっきり自覚されてきますと、それまではっきり自覚できなかった知識を求める言霊オの次元の心構えと知識を選択するこの次元の心構えとの相違が特に明瞭に自覚されます。

言霊オの次元の心の構造が正反合の弁証法構造を持ち図形(上向き三角形)で表徴されるのに対して、言霊エの次元の心の構造が(注1)という形で表徴されることも明確となります。(上向き三角形は、帰納であり、注1は演驛です) と同時に人間生命の 一瞬一瞬の活動の実体が言霊なのだという自覚がひしひしと感じられるのもこの次元においてであります。

(注1)
http://www.g-labo.co.jp/image/kototama_e.jpg

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/123日目:第五 言霊イの段階(1)/

今日は、第五 言霊イの段階を学びたいと思います。

/第五 言霊イの段階(1)/

第五 言霊イの段階

第五段階の言霊イの次元は第四の言霊エ次元の勉学修業の完成の次元ということかできます。

すなわちいかなる事態に対処しても誤ることなく完璧に行動し得る人格完成の次元です。そしてこの次元に到って初めて人間の思考行動がはっきりと五十音言霊図に則って表現きれ決定されるようになります。

第一段階から第二・三・四・五段階ヘ勉学が進むにつれて言霊母音ウオアエイの実在か明らかに区別され自覚されてきます。

そして第五段階の言霊イの次元に一歩足を踏み入れる時、母音に続いて言霊イすなわち人間意志の展開としての言霊父韻が心に焼き付くごとく自覚されてくることになります。

第五の段階はまさに言霊の領域なのです。その領域は人間創造意志の究極的構造を言霊五十音をもって総体的に捉えた人間精神の全貌です。この次元を仏教では『仏陀』といい、キリスト教ではキリストすなわち『救世主』と呼んでいます。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/124日目:第五 言霊イの段階(2)/

今日は、第五 言霊イの段階を学びたいと思います。

/第五 言霊イの段階(2)/

第五 言霊イの段階

まず言霊イの展相である八つの父韻の捕捉の方法からお話を進めることにしましょう。

いままで何度もお話しましたように、言霊父韻というのは言霊イすなわち人間生命の創造意志の展開する相であります。

親音であるイ・ヰの実際の働きです。そして母音ウオアエに働きかけて後天現象の最小単位である言霊子音三十二を生み出すきっかけとなる韻です。

八父韻はキシチニヒミイリですから、例えば父韻キが母音アに働きかけて生まれる子音はキアで、詰まって力となります。

この子音を生む行程から考えて母音ウオアエである欲望・知識・感情・道徳の現象の基底には必ず人間創造意志が働いていることがわかります。

根底に創造意志が働らかなければれば現象は生まれてきません。この行程を心に留めておいて、 人間精神の進化の第三段である言霊母音アを求める退歩の学の場合を簡単に顧みてみましょう。

本然の自己を求めんとして心の中に次々に生まれて来る現象の判断の基準となるいわゆる自我を形成している経験・知識・習性・信条等を一つひとつ否定していきます。

言霊アの自覚として広い広い本来の自己なる宇宙を求めるにはただこの否定だけで用が足りました。否定に否定を重ね重ねし尽くした時、仏教でいう空なる本然の宇宙は心に自知することができました。

けれど人間創造意志そのもの (実はそれに五十音単音を結びつけますと言霊そのものとなる) の基礎である八つの文韻を自覚するためには、その否定行動そのものを更に見つめる必要があるのです。

そしてその否定の行動の中に知性の原律である文韻の働きを捉えるチャンスがあるのです。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/125日目:第五 言霊イの段階(3)/

今日は、第五 言霊イの段階を学びたいと思います。

/第五 言霊イの段階(3)/

第五 言霊イの段階

広い宇宙が実は自分の本性であり自我であると信じ、その自覚を曇らせている従来の自我観念すなわちそれを構成している経験・信条・知識等を、それは借り物であって自我ではないと否定していきます。

しかし一度や二度自分の心に「これは借り物だ、自分では振い」 といいきかせたところで従来価値あるものとして許容し、信頼して生きてきた知識や習慣はなかなか母屋から庇へ立ち退こうとはしません。

何かに感じるとそれらの知識や習慣はたちまち自分の心全体を占領してその判断の行動へおしやります。言霊アの自覚の修業は実はこの否定と失敗の連続であるわけです。

それにもめげず否定の活動を心の中で続けていき、ついに否定しつくした時、豁然(かつぜん)として宇宙そのものが心の本性として自覚されます。

母屋が戻ったのです。と同時に、それまで自分の否定に反抗して、希望に反して現れてきたと思われていた一つひとつの現象が、そのまま現実の実相として、焼き付くような真実として、容認、是認されます。迷は即真実なのです。

仏教でいう諸法空相が理解されると、同時に諸法実相が是認されてきます。そのことを煩悩即菩提などといいます。この時さらにこの実相発現の一瞬を凝視してみましょう。

ある時は期待に反して、またある時は期待通りに現れ出て来る現象の奥に、その現象を押し出して来るごとき原動力が存在することに気付きます。

言霊ウ・オ・ア・エそれぞれの宇宙に働きかけ、刺激して、経験・ 知識・感情・道徳心等々の現象を惹起(じゃっき)させる生命意志の根源存在を認識することができます。

そしてその生命意志の動き方に八通りあることが分かってきます。

八父韻の自覚です。

言い換えて説明しますと、言霊アである自由な世界を得ようと努力した自利の行では全然意識することもできなかった人間生命意志の存在とその働きの様子が、言霊エ以後の利他の行の中でははっきりと八つの父韻として自覚されてくるのです。

このハつの父韻が人間生命の創造意志の現われであり宇宙自体の創造力であります。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/126日目:五母音の復習整理/

今日は、今まで復習してきた言霊アから言霊イまでの
五母音の復習整理です。

/五母音の復習整理/

神社の境内の階段を一段一段踏みしめ昇るがごとく、
学びが上昇されていらっしゃることと信じております。

心は、五界層の言霊で出来ていると言われても、
『本当かな?』と当初思っているところがありました。

しかし、指は五本です。また、腰椎の数も五つです。
4本でも、6本の指でもありません。既に私の『ミ(身)』に
『五』が組み込まれていることを実感して、

言霊五次元界層で出来ていることが信じられるようになってきました。

そして、今までの人生では、下記の『ウ』から『ア』の間の三界層を
私の心がくるくる回っている状態であったことが見えて来ました。

この言霊を知ることによって、心を『エ』『イ』次元へ次元上昇出来る
精神原理を手に入れることが出来た至福の気持ちでいます。ヽ(^o^)丿。

小笠原秀次先生の言霊学では、

/神と人間との関係/

『イ』 仏陀、救世主 : 神仏とは何か言霊である。
『エ』 菩薩、使徒 : 自利から利他の業への出発
『ア』 縁覚 ; 初地の仏、 大元の宇宙の自覚、宗教、芸術の世界
『オ』 声聞 ; 学問の世界、概念の法則化=>自我の形成、闘争
『ウ』 衆生 : 欲望追及、御利益 ,「・・・たい」

今回の復習ではっきりと
上記の世界を理解されたのではないでしょうか?

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/127日目:父韻の復習/

明日からは、父韻の復習をしたいと思います。

/父韻の復習/

父韻 キ・ミ
父韻 チ・イ
父韻 シ・リ
父韻 ヒ・二

の復習をして参ります。

次に子音の復習したいと思います。

一連の復習を通して言霊一つ一つが、
楽器の音色のように、皆さんの心に
響くように祈っております。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/128日目:父韻キ・ミの復習/

父韻の復習をしたいと思います。

/父韻キ・ミの復習/

父韻キ・ミ

先に述べましたように自己の本性を見ようとしてそれまで自我だと思いこんできたその構成要素の知識・習性・信条を否定し続けます。

けれども小さい時から身につけ塵癖とか信念とかはなかなか強情で、「お前は後天的に仕入れた借り物なんだから呼ばない限りてくるな」と幾度我が身に言いきかせても、ある状況では必ず姿を現わし否定の力を押し破ってしまいます。

否定しても否定してもその癖が出る状態をもう一 歩踏み込んで反省する時、否定の力を押しのけて経験的に身につけた癖・信条等と結び着き、またはその知識・信条等を心の宇宙の中から自分の方へ掻き入れようとするいわばデモーニッシュ(超自然的)な力の存在に気付くのです。

これが創造意志の力です。この掻き操ろうとする意志の働き、これが父韻キであります。八つの文韻は実は互いに夫婦の性質を持つ二つの韻四組の合計であることは先の父韻の項でお話しました。

父韻キが心の宇宙からその中にあるものを掻き操る韻であるのに対し、父韻ミは心の宇宙の中のあるものに真直ぐに結び着く働きの韻です。父韻キとミは互に作用と反作用の関係の二つの韻です。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/129日目:父韻チ・イの復習/

父韻の復習をしたいと思います。

/父韻チ・イの復習/

父韻チ・イ

たびたび申し上げていることですが、父韻とは、心の現象が起こる原動力である意志の働き方のことで、当然、心の現象の表面には現われることがありません。

その現われないところのものの説明でありますので、いかに説明しょうとも比喩であり、ヒントであることをご承知のうえお考え下さい。

人はある重大な岐路に当面しますと、 こうしょうかそれともああしようかといろいろ迷います。この迷うということは、いままでに経験し勉強してきて知っているAの方法をとろうかそれともBの道を行こうかの選択の迷いです。

迷いに迷った末に「どう考えてもううまくいきそうとも思えない。下手な考え休むに似たり、こうなったらこざかしい考えは止めて、その場になったら全身全霊で当ってくだけよう」と決心します。

この、自分の過去の経験や知識に頼るだけでなく、自分の全身全霊を投入してことを起こす、すなわち心の宇宙全体がその時その場で全体を現象化する瞬間の意志の韻―これが父韻チであります。

剣道でいえば、大上段の構えから全身を相手にぶっつけるように振りおろす働きです。「とーッ」 とか 「たーツ」とかの掛け声が当然かかることでしょう。(タチツテト)

いまここに宇宙全体である全身全霊が現象化した次の瞬間、その働きは惰性的な持続的なものに変ります。この持続的な意志の働きが父韻イです。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/130日目:父韻シ・りの復習/

父韻の復習をしたいと思います。

/父韻シ・リの復習/

父韻シ・リ

本来の自己を求めて独り静かに坐っていますと心の中は静まるどころかかえっていろいろ雑音が湧いてきます。

これではいけないと気を取り直して精神を集中させようと努力するのですが、いつのまにか何かの記憶とか心配事などが現われ、次から次へとそれが発展し心中に拡がり、ついには心全体を占領してしまうーといったことがよく起こります。

この、心の中を駆け廻りまさに螺旋状に心全体に発展して行く動きの原動力になる意志の韻、これが父韻リであります。

螺旋状というと平面的に聞こえますので、むしろ段々に振幅を増していく螺旋階段状に心の立体宇宙全体に拡がって行く動きといった方が適当かも知れません。

作用あれば反作用あり、反対に螺旋状に求心的に中心に向かって静まる意志の動きの韻が父韻シであります。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
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言霊を、ヒビ(響)かせて
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◆/131日目:父韻ヒ・ニの復習/

父韻の復習をしたいと思います。

/父韻ヒ・ニの復習/

父韻ヒ・二

心の中に何かが起こり進展している。
けれどそれが何事なのであるか、もやもやしていて分からない。

こういうことはよくあることです。このもやもやの気持が起こるのは一つの事態が心の中で充分に進展し煮つまっていないためであります。

この事態が心の中心に煮つまる根本意志の龍が父頭二であります。

煮つまってくると表面意識的に“はっ”とその起こってきた事態が何であるかに気付きます。

気付くとは言葉で表現することができたことでもあります。この言葉として意識表面に完成する原動力となる意志の動きが父韻ヒであります。

以上、チイキミシリヒニの八父韻を自己の心の中に確認する方法のヒントをお話しました。

もちろんこの八つの父韻は現象が生まれる以前の、その現象を生む原動力である先天的原律でありますのでそれ自体は決して姿を現わすことはありません。

それゆえどのように説明をつくしましても結局はそれぞれの人が自らの心の中で確認しようとせぬ限りお分かり頂けないものであります。

しかし自己の心で一度確認してしまえば全くの真理であって、この父韻の活動こそ宇宙万物を創造させる生命の根源であることがおのずから知られるのであります。

中国では古来易経がこの八つの原律を概念的に捉えて易の八卦で示し、それはキりスト教において「天にまします父なる神よ、 御名をあがめさせ給え」と二千年渇仰されてきたものであり、仏教で“八正道”の根本義として表現されてきたものでもあるのです。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
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言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/132日目:神の数式/

/神の数式/

NHKで、神の数式を放映しました。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0921/

2千年以上に及ぶ人類の思索の歴史。それは、全宇宙の謎を解く唯一無二の“神の数式”を追い求めた歴史でもあった。ニュートン、アインシュタイン以来、科学者たちは「あらゆる自然現象は、最終的には一つの数式で説明できるはずだ」と信じてきたのだ。そして今年、ヒッグス粒子の発見によって、人類は“神の数式”の完成に向け、大きく前進しようとしている。この番組は、“神の数式”の探求に挑んだ天才たちの、苦悩と創造、ときには狂気さえはらんだ思索のドラマをビジュアル化することを目指す、野心的シリーズである。

第1回は、「なぜモノに重さ」があるのかという、素朴とも言える問いに挑んできた天才たちの物語。ヒッグス粒子の発見は、ノーベル賞を受賞した南部陽一郎博士らの「標準理論」と呼ばれる数式が、全ての物質を書き表す数式であるということを証明するものであった。その本質は、「もともと対称だった世界が、対称でなくなることで重さが生まれる」という奇想天外なものであった。あまりの大胆さ故に一度は葬られた南部博士の理論がどのようにして蘇り、ついには実験で確認されたのか、今年91歳になる南部博士らの証言ドキュメントと最新CGによって、知的興奮に満ちたドラマと斬新な世界観を描いていく。

昨日は、第3回 「宇宙はなぜ始まったのか~残された“最後の難問”」でした。

全ての物質の根源・素粒子の理論を手にした物理学者たちが、唯一統合しきれなかったもう一つの偉大な理論、広大な宇宙を支配するアインシュタインの一般相対性理論(重力理論)との統合をめざし、宇宙の全てを網羅する“神の数式”に迫ろうとする闘いを描く。

 ミクロの物質から、極大の宇宙の果てまで、世界のほとんどを数式で表すことに成功した人類だが、どうしても説明できないよく似た場所が存在する。それはブラックホールの奥底と宇宙の始まりだ。ところが、そこには深い落とし穴があった。

その数式を求めようとしたとたんに計算不能を意味する無限大が大量に現れ、この世が崩壊しかねないという予言を導き出したのだ。

**************************************************************

それを突破したのは、当時見捨てられつつあったアイデア「超弦理論」だった。

**************************************************************

半世紀以上にわたって数々の物理学者たちを翻弄した無限大の難問。アインシュタイン、車いすの天才スティーブン・ホーキングら一流の物理学者たちが、ブラックホールをめぐって議論を闘わせてきた、人類究極の謎の姿を映像化していく。

/弦理論の登場/

物質の根本を、点の粒子ではなくて、輪ゴムのような弦として
考えようとするものです。(^_^)。

今まで何のことを言っているか分からなかったのですが、

『ヒ』言霊がわかり、『ビ』と響くということが、
霊止が『喜び』を持って生きるには大切だと感じたら、
理解できるようになりました。

パイオリンの音色に感動するのも、
バイオリンの弦が響いているからです。

物質の根本が、弦であり、振動している、
響いているとすると、響くことの価値が更に理解
できる気がしたのです。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/133日目:2014 年をどう成長すれば良いのか?/ 2000年あたりから、コンピュータと通信の歴史を

下記のように記していました。

●歴史的な背景
/40年周期/
1945年~1985年 大型コンピュータの時代
 (81年~1985年 パソコンの登場(次の時代の準備段階))
1986年~2025年 パーソナルコンピュータの時代
/7年周期/
1986年~1992年 パーソナルコンピュータの進展
1993年~1999年 パソコンの連結時代(インターネットの時代)
2000年~2006年 インターネット利用の本格的利用のホップ期
2007年~2013年 インターネット利用の本格的利用のステップ期
2014年~2020年 インターネット利用の本格的利用のジャンプ期

今年は、インターネットが軍事から商用利用へと解放された
1993年から、丁度21年間を終えた 2014年に当たりました。

この21年間でインターネットは、革新的に成長発展を続けて来ました。

通信では、インターネット電話を使えば、世界中が無料通話が実現
しました。KDDという会社が存在して、高価だった海外通話料を
体験した方には、信じられないことの一つです。

また、コンピュータではタブレットというノートの代わりを果たす
パソコンの台頭になっています。(創造ツールとしては、通常のパソコン
が必要だと捉えていますが。)

そういうインフラの土台の上に、次は何が起こるのか、そのキーワードは
何なのだろうかと考え続けていました。

その回答の閃きを、昨日与えられたのです。

脳力全開事業をやっているという立場からの観点だとは
思うのですが、それは、『言葉の革新』 です。

日本では、光ケーブルが各家庭に接続される時代になりました。
全世帯に光で繋がれば、世の中が光のように明るくなると
四国で初めてのインターネットを始めた時、考えておりました。

言霊の学びにより、それらが全部繋がって来ました。

===================
『光=ヒカリ=霊駆り 』でした。
===================

霊駆りの『霊』は、簡単にいうと 『言葉』です。
明確にいうと、『言霊』になります。

伊勢神宮では、20年に一度遷宮があるように
霊止(人)も、若々しく、常若で生き抜くためには、
毎年、言葉の遷宮をする必要があるのではないでしょうか?

この教室で学んでいる言霊は、
光=霊駆り 
そのものです。

言葉に対する学びを更に加速するのが、
2014年の私達の使命と確信しました。

光インターネットを通じて、私達の発信する言葉(言霊)に
よって、地球の愛と平和と創造は実現されていくという
ことです。

==============================
人は、言葉から出来上がっているという理解の元
==============================
下記のように、耳、口、目、手の能力を
螺旋階段を昇るように、日々、速音聴と絶対記憶で、
脳力全開ライフを楽しんで頂くと、

どこまでも、脳力全開できると確信を持つことが出来ました

受動的 能動的
1.【耳】聴く      2.【口】話す
速音聴 =============> 高速音読
音楽 =============> 楽器演奏
自然音

3.【目】見る      4.【手】書く、描く
文字 =============> 文字を書く
絵 =============> 絵を描く
森羅万象 =============> 森羅万象を描く

人類の愛と平和と創造の実現のために、
出会うお一人お一人を脳力全開人(霊知り(ヒシリ))に
育てて参りたいと思います。

地球の愛と平和と創造の加速化のために、
2014年も皆様のお力をお貸し頂ければ幸いでございます。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
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そして、願いをビジョンしましょう。

ご感想をお待ちしています。


◆/134日目:日本語と英語との関係「英単語は、言霊で覚えなさい。」/

『言葉』の大切さが今まで以上に理解できて来ました。

子供がどんな成績が悪い時があっても、
親が意識を高くもって、「お前は賢いから大丈夫だ。」 と
言い続ければ、言葉通りに『賢いお子様』に成長して行きます。

親の発する言葉で、大きな影響を受けます。
また、それは、夫婦間、同僚間、部落間の会話でも同じだと
思います。

日本語の50音と英語の26アルファベットでは、
まったく関連が無いように見えます。

ところが、それが、あったのです。

日本語50音の5×10の表の一番外側の音の数が、
26なのです。

右縦 : あ、い、う、え、お
左縦 : わ、い、う、え、を
上横 : か、さ、た、な、は、ま、や、ら
下横 : こ、そ、と、の、ほ、も、よ、ろ

の合わせて、26です。

26の半分は、13 数です。
これは、トランプのエースから、キングまでの数でも
あります。

日本語50音と、アルファベット26とは、
関連があったのです。

このことを知ってから、

日本語50音の外周に位置する音と英語の音を理解すると
日本語の言霊から、英語の音が分るような気になって
来ました。

今まで、英単語を日本語の語感で記憶することは、
邪道だと考えていました。

しかし、その後の日本語の言霊の学びから、

日本語の語感で英単語も覚えることは正しい考えである
とはっきりと理解できました。(^_^)。

下記の本は、完全に、日本語の言霊から見て
合っていると思えないところもまだあるのですが、
英単語を覚えるには、参考になると思います。


/英単語は、言霊で覚えなさい。/
https://amzn.to/2AWlWId


/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
フホハヘヒ =>ビー
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言霊を、ヒビ(響)かせて
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◆/135日目:『古事記と言霊』ページ203 身禊(一)その1/

古事記と言霊ページ203からの学びです。

/『古事記と言霊』ページ203 身禊(一)その1/
http://youtu.be/RJmtF1BUG0M

身禊(みそぎ)

これから先、身禊(みそぎ)の章で「古事記と言霊」の話も結論に近づきます。

古事記神代の巻は言霊布斗麻爾(ふとまに)の学問の教科書です。

但し普通の教科書ではありません。

著者太安万侶(おおのやすまろ)がある意図の下に謎々の形で後世に遺しました。

謎々ですから古事記をただ当たり前に読んだり、自らの経験知識を藻って推察したのでは、全く何を言おうとしているのか見当がつかない事となります。

「古事記と言霊」講座 その一- <第百六十号>平成十三年十月号 ←(詳しくはこちらをお読み下さい)

けれどひと度、古事記神代の巻がアイウエオ五十音言霊学の教科書である、と言うことに気付き、その神話に出て来る神様の名前の意味を知り、その意味と読者自身の心の内容とを比べて見る時、初めて明らかに古事記が言霊による人間の生きている心の構造を詳細に述べた書物なのだ、ということが理解されて来ることになります。

この「身禊」の章以後に出てくるいろいろな神様の名前は今までに増して難解です。

これから出て来る神様の名前が示す言霊の操作方法の中に、言霊学を学ぶ人にとって最も大きな問題の解決法が秘められている、ということを強調したいからです。それは何か。

言霊学の最も奥の院と言われる言霊三十二子音が持つ真実の姿を知りるための唯一の方法が述べられていることです。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく=

古事記上つ巻の文章の中では、今まで伊耶那岐の命または伊耶那岐の神と書かれ、伊耶那岐の大神と大の字が付いたのは今回が初めてです。

伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。

古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係は、相対的立場でした。

その後、伊耶那岐の命は建御雷(たけみかつち)の男の神という精神構造の原理を以て、不調和・未整理の外国の文化のそれぞれをどのように取り扱い、活用整理して、人類文明を創造したら良いか、の根本法則を確立しようという段階に進みました。

この時の伊耶那岐の命は主体であると同時に客体を包括した主体と言えます。

このように世界文明想像上の唯一の責任者の立場を伊耶那岐の大神と呼びます。

/日々の生活の中では/

ヒビ(日々)
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と、
言霊を、ヒビ(響)かせて
元『ヒ』と『ヒ』き合い繋がって参りましょう。
そして、願いをビジョンしましょう。


◆/136日目:『古事記と言霊』ページ208 身禊(一)その2/

古事記と言霊ページ208からの学びです。

/『古事記と言霊』ページ208 身禊(一)その2/
http://youtu.be/GA55kJyZUZ8

『ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく 』=

古事記上つ巻の文章の中では、今まで伊耶那岐の命または伊耶那岐の神と書かれ、伊耶那岐の大神と大の字が付いたのは今回が初めてです。

伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。

古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係は、相対的立場でした。

その後、伊耶那岐の命は建御雷(たけみかつち)の男の神という精神構造の原理を以て、不調和・未整理の外国の文化のそれぞれをどのように取り扱い、活用整理して、人類文明を創造したら良いか、の根本法則を確立しようという段階に進みました。

 この時の伊耶那岐の命は主体であると同時に客体を包括した主体と言えます。
このように世界文明想像上の唯一の責任者の立場を伊耶那岐の大神と呼びます。

『「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて』=

伊耶那岐の大神は言いました、「私は大そう醜い穢(きたな)い国を見て来てしまいました。ですから私の身体の身禊(みそぎ)をしましょう」とおっしゃいました、ということです。

穢ないとは生田無(きたな)いの意。

生き生きとした精神の調和が保たれている言霊五十音図のない国、即ち外国ということです。

禊祓とは現在の神社神道が言う様な滝や川の水を浴びたりして、個人の罪穢れを払拭するという個人救済の業ではありません。

そのために「身体」と言わず「御身」(おほみま)という言葉が使われています。
伊耶那岐の命の主観界と伊耶那美の命の客観界とを一つにした全宇宙身と言った意味です。

「禊(はらへ)せむ」とは伊耶那岐の命として経験してきた客観世界の文化を自らの言霊原理に照らして整理し、文明の創造に役立つようにしよう、という意味です。

『竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき』=

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。

たとえそういう地名が存在していたとしても、禊祓(みそぎはらへ)が純粋の精神活動だと知れば、それは精神上の場所を示した謎だと分かります。

竺紫(つくし)とは尽(つ)くし。
日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意。

橘(たちばな)は性(たち)を表す言葉(ば)の名の(な)。
小門(おど)は音。

阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。

そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。
原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。

伊耶那岐の大神は,この五十音言霊図表の見地に立って、黄泉国の客観的研究の学問・文化を摂取し、調和してそれぞれに所を得しめる決定的大原理の確率の仕事(禊祓)の見当に入りました。

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◆/137日目:『古事記と言霊』ページ212 身禊(一)その3/

古事記と言霊ページ212からの学びです。

/『古事記と言霊』ページ212 身禊(一)その3/
http://youtu.be/8y7XfFmoC8s

『次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神』=

御帯の帯とは緒霊(おび)・尾霊(おび)の意で、物事の関連性を意味する事。

道の長乳歯(みちのながちは)の道とは道理。
長乳歯(みちのながちは)とは子どもの歯が生え揃ってそれぞれが長く連続している事の意。
外国文化を整理するため菅麻(すがそ)音図上に於いて、その外国文化の内容の連続性・関連性について調べることです。

『次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神』=

古事記の或る書には御嚢を御裳(みも)と書いてあるものがあります。そこで誕生する神名が時量師の神という事となりますと、御嚢より御裳の方が正しいように思われます。

裳(も)とは百(も)で、心の衣(ころも)の意。
また裳とは昔、腰より下に着る衣のことで、襞(ひだ)があります。
伊耶那岐の大神の衣である天津菅麻(すがそ)音図は母音が上からアオウエイと並び、その下のイの段はイ・チイキミシリヒニ・ヰと並び、イとヰの間に八つの父韻が入ります。
この八つの父韻の並びの変化は物事の現象の変化を表わします。
そして物事の現象の変化は時の移り変わりを示す事でもあります。

時量師の神とは現象の変化から時間を決定する働きという事になります。

『次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神』=

御衣(みけし)とは衣の事で、心の衣である五十音言霊図の事。
煩累(わずらひ)は意味が不明瞭で曖昧な言葉のこと。
大人(うし)とは家の主人のこと。

わずらわしい曖昧な言葉を整理して、言葉の意味をはっきり確認する働き、ということになります。

『次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神』=

褌(はかま)とは胴体から二本の足が入るように二俣に分かれている衣類のこと。
道俣(ちまた)も街道がある一点で二方向に分かれた場所のこと。

物事の整理を行うには、表裏・陰陽・主客・前後・左右・上下・等の分離・分岐を明らかに見定める必要があります。

道俣(ちまた)の神とは、言霊図に照らして物事の分岐点を明らかにする働きのことです。

『次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)神』=

冠(かがふり)は帽子のことで、頭にかぶるもの、五十音図で言えば、一番上のア段に当たります。
事物の実相はア段に立って見る時、最も明らかに見ることが出来ます。

飽(あき)は明らかの意。
咋(くひ)は組(く)む霊(ひ)の謎です。
大人(うし)は主人公の意。

事物の実相を明らかに見て、それを言葉(霊・ひ)に組んで行く働き、ということとなります。

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◆/138日目:『古事記と言霊』ページ216 身禊(一)その4/

古事記と言霊ページ216からの学びです。

/『古事記と言霊』ページ216 身禊(一)その4/
http://youtu.be/7qPlzz5kPOI


次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。

天津菅麻音図に関しての事柄です。

伊耶那岐の大神が両手を左右に延ばした姿を五十音図表に喩えますと、左の御手の手纏とは五十音図に向って最右のアオウエイの五母音。

そして右の御手の手纏とは音図の最左の半母音ワヲウヱヰ。
手纏(たまき)とは古代、玉などで飾り、手にまとって飾りとしたもの、とあります。

さて左右の御手の手纏(たまき)から出て来る神の名前ですが、その冠に付いている奥、辺、奥津、辺津のついた三組の神名として取り扱っていく事にします。

『奥疎(おきさかる)の神・辺疎(へさかる)の神』=

「奥(おき)とは起(おき)物事の始まり、積極・陽性音。
反対に「辺(へ)とは山の辺、海辺に見られるように、端の方。
物事の終りを表わす、消極・陰性音。

疎(さかる)は古語で、離れる、へだてるの意。

奥疎(おきさかる)は物事の発端となるものを他のものからへだてるという事。

辺疎(へさかる)は物事の終局となるものより遠ざけ、へだてるという事。

禊祓の出発点の実相を見極める働きが奥疎の神であり、禊祓の業の終了後の世界身の実相を決定する働きが辺疎の神であります。
禊祓の行を始める出発点に「これが新しく摂取する文化の実相だよ」と思い定める事(奥疎)、またその摂取した新文化は禊祓の結果として「この様な姿で人類文明の一翼を担うようになるのだ」という確乎としたイメージを結ぶ事(辺疎)なのです。

『奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこ)の神・辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神』=

奥(おき)である鏡に照らされた物事の実態が待つ内容・効能(芸・ぎ)の総て(那・な)を助け生かして(佐・さ)一つの創造的な言葉に渡す(津・つ)働き(毘古・ひこ)

同時にその創造の言葉を創り出す為には、鏡の前に明らかにされた落ち着くべき結論に必ず到達することを可能にする言葉でもなければなりません。

その為の働きが辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神です。
辺(へ)である結論をもたらすよう(津・つ)その結論として落ち着く全ての(那・な)内容(芸・ぎ)を助け決定する(佐・さ)働きの(毘古・ひこ)言葉(神)ということです。

ひとつの学問、文化のもつ内容の全てを生かし育て(奥津那芸佐毘古)、それを同時に確定された結論としての文明想像上の位置に確実におさまることを可能にする言葉を選び創り出す(辺津那芸佐毘古)
言霊エ次元の言葉は働きの両方を必要とします。

『奥津甲斐弁羅(かいべら)の神・辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神』

甲斐は山梨県の古名ですが、この場合はそうではありません。
甲斐は山峡(やまかひ)と言われる山と山との間、へだたりの意。
弁羅(べら)とは減らす、少なくする。

奥津甲斐弁羅(かいべら)は発端になるもの(奥・おき)を渡して(津・つ)物事のへだたり(甲斐・かひ)を少なくして行く(弁羅・べら)働き(神)

辺津甲斐弁羅(へつかいべら)は終結する結果となるもの(辺・へ)を渡して(津・つ)物事のへだたり(甲斐・かひ)を少なくして行く(弁羅・べら)働き(神)

外国文化の内容のすべてを生かし、更にそれを人類文明に組み入れる動作とがただ一つの言葉によって遂行される事となります。
この禊祓の行為を仏教では佛の「一切衆生摂取不捨」の救済と形容しております。

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◆/139日目:『古事記と言霊』ページ221 身禊(一)その5/

古事記と言霊ページ221からの学びです。

/『139日目:『古事記と言霊』ページ221 身禊(一)その5/
http://youtu.be/fHGOaAfRXOY

『奥疎(おきさかる)の神・辺疎(へさかる)の神』=

「奥(おき)とは起(おき)物事の始まり、積極・陽性音。
反対に「辺(へ)とは山の辺、海辺に見られるように、端の方。
物事の終りを表わす、消極・陰性音。

疎(さかる)は古語で、離れる、へだてるの意。

奥疎(おきさかる)は物事の発端となるものを他のものからへだてるという事。

辺疎(へさかる)は物事の終局となるものより遠ざけ、へだてるという事。

禊祓の出発点の実相を見極める働きが奥疎の神であり、禊祓の業の終了後の世界身の実相を決定する働きが辺疎の神であります。
禊祓の行を始める出発点に「これが新しく摂取する文化の実相だよ」と思い定める事(奥疎)、またその摂取した新文化は禊祓の結果として「この様な姿で人類文明の一翼を担うようになるのだ」という確乎としたイメージを結ぶ事(辺疎)なのです。

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◆/140日目:『古事記と言霊』ページ221 身禊(一)その6/

古事記と言霊ページ224からの学びです。

/『140日目:『古事記と言霊』ページ224 身禊(一)その6/
http://youtu.be/Q1QXM8EB_Ak

『奥津那芸佐毘古(おきなぎさひこ)の神、辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神』

 奥疎の神の働きで御身(おほみま)の禊祓の出発点の実相が明らかになりました。その出発点で明らかにされた黄泉国の文化の内容をすべて生かして人類文明へ渡して行く働きが必要となります。

その働きを奥津那芸佐毘古の神と言います。出発点に於ける黄泉国の文化の内容(奥津那芸)を生かして人類文明に渡す芸(わざ)を推進する(佐)働き(毘古)の力(神)という訳であります。

それは過ぎたるを削り、足らざるを補う業(わざ)ではありません。内容のすべてを生かす事によって結論に導いて行く業であります。

 辺津那芸佐毘古の神とは結論(辺)に渡して(津)行くすべての業(那芸)を助(佐)けて行く働き(毘古)の力(神)という事です。

辺疎(へさかる)で黄泉国の文化がどういう姿で人類文明に摂取されるかが心中に確認されました。黄泉国の文化がその姿に収(おさ)まらせる事がどうしたら出来るか、の業が決定されねばならないでしょう。

そういう業の働きの力を辺津那芸佐毘古の神と言います。禊祓の出発点に於ける黄泉国の文化の内容をすべて生かして行く業(方法)が奥津那芸佐毘古であり、その内容をどういう姿で人類文明に摂取するかの業が辺津那芸佐毘古と言う事が出来ます。

『奥津甲斐弁羅(おきつかいべら)の神、辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神』

 奥津那芸佐毘古で禊祓の作業の出発点にある黄泉国の文化の内容を尽く生かす手段が分かりました。また辺津那芸佐毘古でその文化の内容を人類文明の中に同化・吸収する手段が分かりました。

出発点の黄泉国の文化を生かす方法と終着点である人類文明に組込む手段とは、実は別々のものではなく、実際には一つの手段でなければなりません。

人類文明に摂取する外国文化の内容の尽くを見極め、それを生かそうとする手段と、その内容を衝立つ船戸の神の音図に照らし合わせて、人類文明の中にその時処位を与える方法とは、実際には一つの行為・手段によって行われるものです。そこで出発点の手段と終着点の手段は一つにまとめられなければならないでしょう。

ですからそのそれぞれの間の隔たりは狭められなければなりません。その間の距離を狭める働きが出発点の奥津那芸佐毘古に働く事を奥津甲斐弁羅と言い、終着点の辺津那芸佐毘古に働く事を辺津甲斐弁羅と名付けるのであります。この様にして摂取する外国文化の内容のすべてを生かし、更にそれを人類文明に組み入れる動作とがただ一つの言葉によって遂行される事となります。

この禊祓の行為を仏教では佛の「一切衆生摂取不捨」の救済と形容しております。

 以上、伊耶那岐の大神が自らの御身の中に於て外国文化を人類文明に組み込んで行く手法を示す奥疎の神以下辺津甲斐弁羅の神までの六神について解説いたしました。お分かり頂けたでありましょうか。

『知訶(ちか)島またの名は天の忍男(あまのおしを)』

 以上お話申上げました衝立つ船戸の神より辺津甲斐弁羅の神までの十二神が人類精神宇宙に占める区分を知訶島または天の忍男と言います。知訶島の知(ち)とは言霊オ次元の知識のこと、訶(か)とは叱り、たしなめるという事。

黄泉国で発想・提起された経験知識である学問や諸文化を、人間の文明創造の最高の鏡に照合して、人類文明の中に処を得しめ、時処位を決定し、新しい生命を吹き込める働きの宇宙区分という意味であります。

またの名、天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。世界各地で製産される諸種の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くこの精神能力は人間精神の最も偉大な働きであります。

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